曇った鏡

ふむ、こりゃいかん・・・

朝というかもう昼ではあるが店で目を覚ましトイレにて鏡に写った顔を見て思わず吐きすてた

 

“春はノイローゼと共に”というのは昔からの自分の恒例行事のようなものであるが

今回は中々に根が深い

自覚がある以上ノイローゼでも何でもないのではあるが

どうもこの無気力な感覚と後ろ向きに走ってしまってる感じが拭えない

特に理由はなく、芥川くん風に言うと“ただぼんやりとした不安”と言おうか…

それ故改善方法もなく少々タチが悪い

“わしとお前は焼山葛、裏は切れても根は切れぬ”

とは幕末に大好きな高杉晋作が山縣有朋に送った都々逸とされていますが

こんな後ろ向きな感情とどこまでも繋がっていたいとはこれっぽっちも思えぬ

どうやらこいつが自分の中に巣喰う貧乏神の様なものらしい

どうせ繋がるならば未だ見ぬ可愛らしい“はにぃ”で充分である

 

自覚はあったようななかったような…

音もなくスるりと心に入り込んだ具合の悪い僅かばかりの後ろ向きな感情は

少しずつ蓄積した挙句

心ならずも正当防衛により切り捨てた魂の怨念の返り血のように

べっとり、ねっとり鬱陶しく張り付いたのに気づいた時には手の施しようのない重傷となっていたようだ

迷走しているという確かな感覚

いくら走ろうが、どこまで走ろうが

向かうべき所が見えてない以上どこに辿り着くものでもなく

気がつけばそこは桃源郷でした!なんてムシのいい話は数回生まれ変わったとて無理な話だ

 

理由なく堕ちたのなら上がるのにも理由はいるまい

生に涯てはあれど名に涯ては無し!!

どのみち“生”に限りがあるならば背負えるものなどたかが知れていよう

負担に思うなら、後ろ向きになるのもバカバカしい話だ

捨て去ってしまえばよいではないか

すぐ近所の所謂“町の電気屋さん”の軒先に巣を作った燕の雛は大きくなり

餌を求めて大声をあげていた…

昨日は家の玄関に停まったトンボはいくら威嚇しても身動き一つ取らず

未だ警戒心を持たない…

日々の暑さからも疑いようのない初夏の到来

いずれ・やがて・そのうち・そろそろ・とりあえず…

煩わしい言葉はなしにして“今”捨てましょうか

 

またも高杉の引用ではあるが

“人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない。”

最もな話ではないか!

困ったところで誰が助けてくれるでもなく、泣いて解決する話でもなかろう

少なくとも笑ってる方が楽しいに決まってる。

そもそも楽しい人には楽しく、悲しい人には悲しく黙って寄り添う“酒”を扱う

バーカウンターの中のバーテンダーが曇って何になろう

「腐った顔はやめにしようや」

鏡に写った冴えない顔に呟いた時に思い出した言葉で締めくくるとしよう

 

“花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ”

 

2013 6 19 10:02

須藤 利浩

 

 

 

 

 

 

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