2022の夏はなんといっても早かった
いつのまにか梅雨はあけ6月というのに連日体温を超える気温
広島旅行を控えていた僕はその暑さゆえ
“アキレス腱を守る”という
大凡誰にも理解されないであろうこだわりを捨てた
どうでもいい事ではあるが
四半世紀もの間続けた事実故に
どうでもいいくらいにどうでもよくはない
一部の人に指摘される程度に外見が変わっただけで中身は何も変わらない
地球と僕の心は何の関連もなくただ周り続け時間は流れる
そして春に芽生えた心の中の優しい原動力だった“ハジマリ”は
いつしか暴走を始め自己嫌悪が加速する
8月半ばのある朝
店で目覚めた僕の右手は死んでいた
軽いしびれを感じるのみで自分の意思通りに動かない
こんなときに酒なんぞ呑んでいられないと恐怖を覚え店を休む
10年以上病院というものに行った事がなかった僕は
どこの病院に行っていいかもどうやって行ったらいいかもわからない
それでもどうにか文明の利器を駆使して
(ナメンなよそれぐらいは俺でもできるぜ!)
病院に駆け込んだ
“橈骨神経性麻痺ですね”
なんだそれ・・・
医者が言うには右手を圧迫した事による一時的な麻痺らしい
どれくらいで治るのか聞いてみると
一般的には一週間もあれば完治するのでニ週間分の薬をだしてくれるとの事
脳からきてるモノではなく時間が解決すると聞き
安心したのが結果的に早かった
その日から始まった僕の不便極まりない左手生活は存外長引く事となる
まず直面した問題は飯
左手で箸なんぞ使った事がないので如何せん物を挟めない
それから文字
左手で書いたそれらは何を書いてるのか自分でも読めない
仕事に関しては随分前に“左手でもできた方が格好いいよね”って事で
なんちゃってで練習した事はあった
思ったより下手くそになっていたのは想定内だったが
右手が固定できないのでまともに氷が割れない
このご時世のせいにはしたくないが
暇営業に終始してるにも関わらず
(根本は自分の能力不足なのは理解している)
疲労感が尋常ではなく無駄にストレスは積み重なる
それでもどうにか一週間かけて少しずつ左手の感覚を上達させていく
できなかった事ができるようになるというのは
自分の引き出しが増えるようで楽しくはある
ただ最も望んでいる筈の右手に回復の兆しがみえない
毎日のように眠った時に治った夢をみる
起きて現実に動かない右手に絶望する
焦りと絶望
そんな生産性のないように思えた事を繰り返し
ニ週間が過ぎた頃に僕は諦めた
“これはこれで受け入れよう”
物事というのは得てして絶望の中に光があり
受け入れた先に次がある
なんと諦めた翌日にやっと明らかな良化の兆しがみえた
これならもうすぐと思ってからは
今日は少し動く、今日はあまり動かない
今日は随分調子がいい、今日はいまいち調子が悪い
ゆるやかに上昇しながら波のある日々を送りつつ
神経が繋がりさえすれば動くのなら
ある日寝て起きたその時に治っていると思い描いた幻想は
少しずつ回復へと向かい少しずつ良くなり少しずつしか良くならないという事実にすり替わった
夏が終わり秋が来る
ただ一番嫌いな季節がいって一番好きな季節が来るだけの事
それが時の流れ
もうほぼ日常生活に支障をきたすことはない
それでも僕の右手はまだ完治していない
それでも僕の右手はやがて完治するだろう
それもまた日常のそして季節の流れ
2022夏
激動だった
少なくとも僕にとっては
そしてハジマリはオワルのだろう
色々な事があって色々な事を考えた
具体的にはうまく言えないけれど
僕の中のリアルがより濃くなったような気がしている
それは周りを薄く曖昧にする事だと気づく・・・
2022 9 28 am 8:12
須藤 利浩